Hall of Fame

内海桂子・好江

内海 桂子

1921年9月12日(戸籍上では1922年1月12日)
千葉県銚子市出身
本名:安藤 良子〈あんどう よしこ〉

内海 好江

(1936年2月23日 - 1997年10月6日)
東京都台東区出身

CD

Wけんじ

W450

東けんじ

1923年(大正12年)12月17日 生まれ
1999年(平成11年)1月7日にで肝不全のため死去。享年77(満75歳没)
栃木県宇都宮市出身
本名:大谷健二(おおたに けんじ)

宮城けんじ

1924年(大正13年)8月20日 生まれ
2005年(平成17年)10月19日に肺がんのため死去。享年82(満81歳没)
宮城県亘理郡出身
本名:寺島文雄(てらしま ふみお)

CD

コロムビア・トップ・ライト

コロムビア・トップ

(1922年5月6日 - 2004年6月7日)
本名、下村 泰(しもむら ゆたか)

コロムビア・ライト

(1927年3月30日 - )
東京都港区出身
本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)

加藤隼戦闘隊に所属してビルマ(現ミャンマー)、タイの戦線にいた下村軍曹(下村泰)と池田伍長(池田喜作)が戦後ナコンナヨークの収容所の演芸会で即席漫才をやったのが始まり。復員後、青空トップ・ライトとしてデビュー。

1950年(昭和25年) 池田の死去に伴い、鳥屋二郎とコンビを組み直す。

1952年(昭和27年) コロムビアレコードと契約し、コロムビア・トップ・ライトに改名。コロムビア専属歌手の司会者として巡業等の舞台で「司会漫才」のジャンルを確立。またニッポン放送の早朝番組『起き抜け漫才』で時事漫才のジャンルを確立し、以降社会風刺を効かしたネタで注目を得て、全盛期には絶大な人気を呼んだ。

1959年(昭和34年)記者クラブ賞、読売新聞演芸賞、ラジオ・オリムピック賞受賞。

1963年(昭和38年)「漫才変遷史」の企画・制作の成果に対して芸術祭奨励賞受賞

1964年(昭和39年)漫才研究会の3代目会長にコロムビア・トップが就任。会の名前を漫才協団に改める。

1974年(昭和49年) 参議院議員初当選(3期18年間務める。第二院クラブに所属)。コンビは解散となった。その後はそれぞれ漫談家として活躍。

1995年(平成7年)コロムビア・トップ、勲二等旭日重光章を受章。

2004年(平成16年)6月7日コロムビア・トップ死去。死後、正四位に叙された。

弟子
青空千夜・一夜、青空うれし・たのし、青空はるお・あきお、青空球児・好児、青空一歩・三歩、玉置宏、鈴木やすし、十勝花子、他多数  

松鶴家千代若・千代菊

松鶴家千代若
(1908年10月25日 - 2000年6月15日、栃木県出身、本名:安藤定夫)

松鶴家千代菊
(1915年1月19日 - 1996年4月29日、東京都出身、本名:安藤ふゆ)

1923年(大正12年)に千代若が大阪で松鶴家千代八(初代)に弟子入り。

1929年(昭和4年)に地方巡業中に安来節一座に居た千代菊と知り合い、結婚。夫婦漫才を結成。

1939年(昭和14年)上京して浅草を本拠地にする。

1967年(昭和42年)「三河萬歳」で芸術祭奨励賞を受賞。

1974年(昭和49年)に東宝劇場で芸能生活50周年を記念したチャリティー公演を行う。

1975年(昭和50年)紫綬褒章 受章(漫才として初)

1983年(昭和58年)勲四等瑞宝章 受章

1992年(平成4年)ビートたけしら弟子たちがダイヤモンド婚式(結婚60年)を行う。

1996年(平成8年)千代菊の没後も千代若はピンで最後まで舞台に立ち続けた。 タネの最後の「もう帰ろうよ」は衆知ののフレーズ。世間の夫婦の典型、恐妻家と賢婦人を舞台でほほえましく展開、併せてその美声による民謡と千代菊の三味線、時には千代若の鼓で華やかな芸は多くのファンに愛された。又その人柄を慕って多数の門下にいる。 その代表はツービートでデビューした北野たけし、松鶴家千とせ東京二・京太などがいる。 面倒見の良さで芸人仲間からも畏敬を集め、漫才協会(当時:漫才協団)の相談役を務めた  

リーガル千太・万吉

リーガル 千太

(1901年7月2日 - 1980年5月10日) 東京都出身、本名:富田 寿(とみた ひさし)

リーガル 万吉

(1894年12月12日 - 1967年7月30日) 東京都出身、本名:寄木 昇(よりき のぼる)

千太は柳家緑朗、万吉は柳家悟楼という落語家であった。1934年(昭和9年)にリーガルレコード(コロムビア系)の専属となりリーガル千太・万吉と改名し本格的に漫才に転向。

1955年(昭和30年)漫才研究会(現 漫才協会)を旗揚げする。初代会長にリーガル万吉が就任。1960年(昭和35年)7月万吉は健康上の理由で会長を都上英二にゆずる。

同年10月22日東宝演芸場で行われた舞台で演じた「やきとり」第15回芸術祭で奨励賞に輝いた。(漫才の芸術祭初参加)

1961年(昭和36年)万吉は高血圧で倒れ翌年には引退を発表する。

1962年(昭和37年)筆頭弟子のリーガル天才・秀才が漫才研究会の総力をあげ日比谷公会堂で引退興行を行った。 続いて千太も1969年(昭和44年)に芸能界を引退した。

弟子リーガル天才・秀才、春日三球、ケーシー高峰、高峰和才・洋才

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